理想的なスピーカーを探し求めて、
jazzを聴くスピーカー
ジャズマンへの道

エジソンが発明したメカニカルスピーカーを
ボイスコイルで動作するように
改善したスピーカー

その2



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ジャズ演奏の基本はベース

ジャズの帝王と言われるマイルスディビス、実のところ私はつい最近まで、あの音数が少ないアドリブのどこが良いのか良く分かっていませんでした。当時多くのミュージシャンはアドリブの技を競い合いいかに細かいフレーズを楽に演奏できるか?を競い合う感じも多々ある中に、マイルスはそのような大部分のミュージシャンとは異なり、よくやるお馴染みのフレーズではなく、彼独特のフレーズ、例えば二つの音だけを延々とトリルみたいに吹くとか、で演奏していたのは、なぜなんだろう?と思っていました。こんな思いは私だけではないのでしょうか?、同じような疑問をタモリはマイルスに投げかけていました。




もう一つのビデオでは、ではマイルスのどこが帝王なのかについて話していますが、その理由は皆さんの意見がまとまらず、挙句の果て「一緒にやる他のマイルス門下生ミュージシャンが良いんだ」という結論のご様子で、私もそう思っていました。

さて、ところがつい最近、低音を綺麗に再生できるスピーカーでマイルスの音を聞いてビックリしました。マイルスのトランペットとベースの音とが一心同体と絡み合って見事に織りなす世界が聞こえるではありませんか!

正に神がかり的なタイミングで入ってくるさり気ない音は、ピーンと張り詰めた緊張感に満ち満ちていますえ?ここまでやっていたのか!とビックリしました。

マイルスはリズムに変幻自在に乗るんですね。時にはやる気があるのか疑問なくらいにさり気なくお気楽な雰囲気でまずは始まりまったり、するときっと「あれ?」って共演者は思うはずです。例えばなんだか音が合ってる?とさえあることもある位気軽な感じでフレーズが展開する事もあります。ところがそれは単なるポーズです。直ちに修正が入ります。突然超シビアなタイミング、超ドンピシャなタイミングで入ってきたりします。これで伴奏パートも,「シャン」となっちゃうんですね。そのうちこれ以上ないという大きな音で来たりしたら、まず同じ舞台に乗っている人は完全にあっちの世界へ行っちゃいますね。平常ではいられません。そのタイミングがいつ来るのかで共演者は常にピリピリでしょう。

そんな様子が特に顕著に聞き取れる演奏が、マイルスとコルトレーンの一緒のステージでの1960年の演奏です。この中でjazzの両巨頭マイルスとコルトレーンが強力過ぎるソロを展開しています。
Konserthuset Stockholm Import, Live
マイルス・デイビス ジョン・コルトレーン

この中で、コルトレーンは、最初はマイルス風に少し吹くのですが、すぐにマイルスにはなれない、と自覚したのでしょうか?続いてマイルスのソロを否定するかのごとくの凄まじい演奏となっていきます。

才能のある者同士が競い合っている内は未だ芸術として成り立ちますが、お互いが頂点に立ったら、頂点に二人は不要なのですね。どちらかが倒れるまで行ってしまうのでしょう。その直前のこのCDは、もう芸術の枠を出た現実の争いになってしまいました。

その後の二人はご存知のように、このような演奏形態を続けて行き、一人は自分を追求しすぎて切れてしまい、もう一人は究極のフォービートに上り詰めた後は、フォービートを二度とやらなくなりましたが、もしかしたら、このコルトレーンの演奏で自分のフォービートソロが否定された事がトラウマになっていたのかな?とか、そうも有り得る位の正に血の流れ出る悲惨な程壮絶な演奏が、このCDには録音されています。

念のため上のutubeビデオをパソコンのスピーカーで聞いたら、あれ?不思議、マイルスのソロが単なるルーズなチャッチイ演奏に聞こえてしまいます。多分、今クリックして聞いた大方の方はそう思ったでしょう。私もそう思ったのですから、残念です。

もう一度再々確認で良いスピーカーで聞いたら、良かったあ、マイルスのソロは輝いていました。残念ながらマイルスのソロの良さはある程度良いスピーカーで聞かないと理解できないのですね。ただし、このスピーカー、ジャズならJXXと言われている例のスピーカーではございません。だから私もズッと、タモリたちと同じようにマイルスの凄さを理解できなかったのでした。

フォービートのノリが一番上手、を超えて、このCDの中で聴ける様にコルトレーンを狂わせたほどの「神の域」のアドリブを展開するのがマイルスデイビスなのです。変幻自在さはベートーベンに匹敵しているのは確実でしょう。

ベースが音楽演奏の基本であり、ベースの音を綺麗に再生できるスピーカーでこそ真実の音楽を聴くことができるんだなあ、と思います。ぜひ、騙されたと思って、良いスピーカーでマイルスを聞いてみて下さいませ。

ジャズの4ビートにおけるベースとドラムの関係

マイルスのソロについて素晴らしい解説をしている方を紹介しておきます。
http://sound.jp/tknk1/miles/miles.html
http://naotatsu-muramoto.info/jazz.album/jazz.album18.html
http://bassclef.air-nifty.com/monk/2005/07/post_f712.html

この方たちの意見に賛同できない方は、おそらくPCスピーカーかイアホン、スマホ、あるいはイXXス製最高級クラシック用スピーカー、あるいはアXXカ製定番ジャズ用とも言われるJXXに洗脳されてジャズを聴いている人達かもしれませんね。残念です、真の芸術を知る為です、ぜひスピーカーのグレードアップを検討なさってください。

又、もし、マイルスのソロについて「感情移入できないソロも結構あり」と思う方がいるとしたら、ぜひスピーカーを変更して聴き直してください。マイルスは真のアドリブをしていることに気が付きますよ。

それと、特にイアホンは最悪です。頭にいくら低音が響いても、胸には全く響いてきませんので、ウッドベースの音はうるさいだけで何の感動もありません、、、とは決して言い過ぎではございません。

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もう少し詳しく解析

何故PCのスピーカーで聴いたのと、良いスピーカーで聴いた時のマイルスの違いがあるのかを、1曲目のso whatについてもう少し詳しく解析してみました。

マイルスのソロは例えば確かにルーズなフレーズもあるんですね。正確に言えばルーズというよりは力が抜けてる音です。ですからリズムにジャストには乗れていない、もしくはミストーンっぽく聞こえます。でもこれはあくまでポーズなのです。なぜなら、一つのフレーズがほんの少し例えば出遅れたらすぐその後で修正が入って全体のフレーズではチャンと形になるフレーズに仕上げているんです。

そしてしばらくするとココだよ!とばかりに、ドンピシャでキリッとしたフレーズが出ます。そうすると、さっきまでのルーズさは何だったの?となり、傍で聞いている人、おそらく共演者はそのテンションの高さにドキッとなっちゃうんですね。その時初めて、ああ、さっきのルーズさは単なるポーズだったのね、これが言いたかったからさっきのルーズさが有ったのね、とルーズさの意味に気が付くわけです。

ジャズ演奏のテンポの基本はベースであってドラムスではありません。ドラムスはリズムに色を付けているだけなので、ドラムスのシンバルばかりハッキリ聞こえるPCスピーカーだと、どのくらいベースとのタイミングがルーズなのかが聞き取れないのです。このルーズさ加減が聞き取れないとフレーズの味も聞き取れないのです。マイルスのソロは常にそのほんのわずかなルーズさを計算して吹いているかのように聴こえます。

そういえばマイルスの後に続いてのコルトレーンのソロの出だしの辺の彼の気持ち、ホントに良く分かります。マイルスのノリを真似をしてマイルスとほぼ同じ感じのルーズさで始まるのですが、やはり本物にはかないません。だんだんそのルーズに吹くのは諦めて、今度は音質をマイルスの真似をし始めます。それを拡大解釈していってとうとう自分の世界へ入っていきました。いつも私はその辺でこのCDをストップさせます。さっきマイルスがいた高さへ行くにはこれしか無い、という気を丸出しでのコルトレーンの音の洪水が痛々しくって、この先はヤワな私には聴けません。

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マイルスの本当の凄さを知っているのは誰?

あるクラシックコンサートのリハーサルに立ち会ったことがあります。その中の一曲にコントラバスの四分音符のピチカートであたかもジャズでいうウォーキングベース風の曲がありました。

コントラバスは一本で、演奏場所はそれほど広くないリハーサルホールでしたが、アタック音のあるとてもメリハリのある音が聞こえました。しかし、本番の大ホールではベースの音にエコーがかかって少しぼやけて聞こえました。

又、どんなコンサートでもベースやキックの音をアンプを通すと、どうしてもメリハリの無い低音になってしまいます。

という事は、本当のコントラバスのピチカートや生ベースの音は演奏者のすぐ近くで聞かないと本当の音は聞こえない、という事でしょう。私の経験からもそうでした。実際にプレーしていたときベースの音をハッキリクッキリと聞きながらプレーしました、って当たり前ですね。

マイルスの共演者たちはみんなマイルスに続いてソロを始めます。そのソロが素晴らしいのは、マイルスの神がかり的で緊張感に満ちた、ベース音のタイミングとのシビアなノリに影響されたからに違いません。

すなわち、マイルスの本当の凄さを身に染みて知っているのは共演者達だけでしょう。なぜなら生のベースの音はアンプを通すとボヤけた音になってしまうので、ベースと一心同体となっているマイルスのソロを聞き取れたのは当時では同じステージに立った人たちだけだからです。

ただし、もし低音のアタックを綺麗に再生できるスピーカーがあるならば、マイルスの凄さの一端をうかがい知ることは可能なのでしょう。

と、これほどマイルスの評価が私にとっては高いので、もし低音がクリアーに再生できるスピーカーが開発出来たら、「マイルス専用スピーカー」というキャッチが良いですね。

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マイルスのどこがいいの?マイルス・デイヴィスの良さがまったくわからん!

こんな大胆な説を言う方がいました。
これは中々重要な意見だと思いました。

言っている内容はよく理解できます。なぜなら私も全く同じ意見だったのでした。

なぜこのような意見になるのかというと、ジャズを真面目に考えているからなのですね。つまり、音楽というものを勉強して、自分なりに研究すると、このような意見になります。

より良い音楽を勉強すればするほど、マイルスの価値は分からなくなるのです。

端的に言うとマイルスのアドリブはベースと一体になって演奏しているので正しい生のベースの音を再生できるスピーカーの音と一緒に聞かないと絶対に良さは聞こえません。

マイルスが分からない、という人はジャズを頭だけで聴いているのでしょう。胸にベースの音が響くスピーカーで聞くと胸に響く音とマイルスのフレーズの絡みがよく聞き取れると思いますよ。

ウッドベースの刻む4ビートは神の声なのです。
これに従う事がジャズを演奏するという意味なのです。
自分の意志でリズムを作ると危険ですよ。
そういう意味で音楽は宗教でもあるのでした。

早い話、神は一人でよいのです。
それほど、彼を抜くことは不可能でしょう。
コルトレーンみたいに自滅する危険があります。

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